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八千代市の概要
八千代市は緑にあふれた街です
新川上空
市の北側半分は、下総台地の緑豊かな自然があります。
南側半分は、森を残し、緑の景観に配慮した市街地が形成されています。
市の中央には八千代市のシンボル「新川」が南北に悠々と流れ、人々は釣りや散策を楽しんでいます。八千代市は、首都30キロ圏の位置と交通の便、自然環境の良さから首都圏のベッドタウンとして急激に発展してきました。
平成8年4月、都心に直結する東葉高速鉄道が開通。新しい駅を中心に開発が進み、今後もさらに発展が見込まれています。
八千代市の将来都市像は「人がつながり 未来につなぐ 緑豊かな 笑顔あふれるまち やちよ」。
この将来都市像を実現するため、5つの柱をたて、まちづくりを進めています。
まちづくりの5つの柱
- ともに支え合い健やかでいきいきと過ごせるまちづくり
- 豊かな心と文化を育むまちづくり
- 安心・安全に暮らせるまちづくり
- 快適で環境にやさしいまちづくり
- 産業が元気なまちづくり
市の規模
(平成26年10月1日現在)面積:51.39平方キロメートル(東西 8.1km、南北 10.2km)
市の特色
「住宅団地発祥の地」碑
市内に八千代台、勝田台、米本、高津、村上の五つの大規模住宅団地があります。八千代台団地(昭和32年完成)は、日本の大規模住宅団地の発祥の地。これを契機に大規模団地の建設が進み、昭和50年の国勢調査では、人口10万人以上の市で全国一の人口増加率を示しました。一時は全国で有数の人口急増都市になりました。
八千代の誕生
昭和29年1月、千葉郡大和田町と睦村が合併、「八千代町」が誕生しました。
「八千代」の名前は、その時公募によって付けられたものです。同年9月、印旛郡阿蘇村と合併、現在の市の形がほぼできあがりました。
「八千代」は、めでたく喜ばしい時に使われ、無限の発展性を秘めているという意味があります。
市制施行は昭和42年1月1日、千葉県内で21番目の市になりました。