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八千代市出身棋士・近藤誠也八段インタビュー
八千代市生まれの将棋棋士
近藤誠也八段は八千代市で生まれて一時転居した後に、勝田台小学校1年生から再び八千代市に転入し勝田台中学校に進学しました。5歳の頃に祖父から将棋を習い、平成19年(2007年)に日本将棋連盟の棋士養成機関「奨励会」に入会し、中学2年生の時に平成22年(2010年)初段に昇段。広報やちよではその際、本人にインタビューしています(広報やちよ平成23年(2011年)3月1日号)。
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棋士10年目の悲願達成
5つの級に分かれ、年間を通して戦い棋士の格付けを決める将棋の順位戦。負ければ降級もある勝負の世界で、 名人を除き10人しか在籍できないトップリーグがA級です。近藤八段は第83期(昨期)B級1組の順位戦を勝ち抜き、同組から年間で2人しか上がることができないA級への昇級を決め、さらに令和7年2月11日に朝日杯将棋オープン戦で棋士10年目にして初の棋戦優勝を遂げ悲願を達成しました。
3月11日将棋会館にて
昨年(令和6年10月)に移転しオープンしたばかりの将棋会館。当時中学生の近藤少年にインタビューしてから14年の月日が流れ、棋士10年目となる近藤八段にお会いすることができました。 順位戦終了直後 の貴重な時間をいただき、A級として挑む新年度への思いや八千代の思い出を当時のインタビュー記事もご覧いただきながらお話を聞きました。
近藤誠也八段インタビュー
A級昇級おめでとうございます、昇級した率直な気持ちを聞かせてください
―昇級直後はどこかふわふわした気持ちでしたが、今は完全に落ち着いてA級に向けてしっかり準備したいという思いが強いです。
昇級にあたって周囲の人の反応はいかがでしたか
―本当に多くの人にお祝いの言葉をいただけたのが嬉しかったです。特に僕の将棋を応援してくれている家族にいい報告ができました。
ご家族というと、以前A級昇級を誰に伝えたいかと聞かれた時に、自分への応援を生きがいにしてくれている祖母に伝えたいと話していましたね
―親戚一同が勝田台でお祝い会を開いてくれました。将棋は指せない人は多いのですが、自分の成績には注目してくれていて、二つの大きな結果(A級昇級、朝日杯優勝)を非常に喜んでくれました。
その時のおばあさまの様子はどうでしたか
―いつも通りでした。素直によろこんでくれて、お祝いの言葉をももらいました。祖母は将棋を指せないですが、将棋界の動向をチェックしていて僕以上に詳しくて驚きました。
┃対局が始まると緊張はしないのですが、始まる前は緊張します
厳しい勝負の世界でプロは対局の連続です、メンタル面好調を維持する取り組みなどはしていますか
―本当にメンタル面は一番大事です。勝っているときは、気負わずのびのび指せることもあって良い結果が出やすいなと思っています。連敗が続くとやっぱり固くなりがちになってしまいます。メンタル面は自分でもまだ試行錯誤しながらやっています。
実際に盤上を離れて息抜きにしていることなどはありますか
―息抜きと言えるような大したことはしていないんですけど、ちょっと散歩したりしながら将棋のことを考えたりはしています。
棋士にはシーズンオフの期間がありませんね
―棋士の公式戦は一年中あるので、負けてしまえば無くなりますが、勝っている以上対局が続いていきます。でも対局が続くのは逆に良いことではあります。
勝ち続けることがメンタル面の好調に繋がる
―そうですね
中学生の時のインタビュー記事では「緊張しないタイプ」と話しています。最高峰のA級挑戦にあたって緊張していますか
―対局が始まると緊張はしないのですが、始まる前は緊張します。優勝した朝日杯(令和7年2月11日)は初めての公開対局で、観客の前で指すことにそれは本当に緊張しました。普段の対局は1対1で他に記録係の人がいるだけなので。お客さんを交えてというのは初めてだったので緊張しました。
冷静沈着に見えましたが緊張していたのですね
―緊張しましたね。緊張するなとはわかっていたのですが、いざその場に立つと足が震えましたね。幸いテーブルクロスで足元が隠れていたので笑…それは冗談ですけど笑
当時緊張しないと言っているのは顔に出さないようするという意味もあったのかもしれません。ポーカーフェイスを作るようにしていたかも。
A級として迎える新年度についてどのような気持ちでいますか
―A級棋士になったことで、重圧や責任感を感じる場面があると思います。それにふさわしい将棋を指したいです。そして、少年の頃からの目標であるタイトルを取りたいです。
┃八千代は棋士への道のスタートでした
八千代市の思い出を聞かせてください
―子どもの頃に祖父から将棋を教わり、勝田台文化センターで将棋教室に通いました。大人の指導員に教わってめきめきと力をつけていって、そこからさらにステップアップして違う場所で指すようになりました。あの環境があったことに感謝していますし、八千代は棋士への道のスタートでした。月に1・2回に通った将棋教室のおかげで将棋を指すことが楽しくなりました。
小学生で奨励会に入会して棋士の道へ進んでいます、少年の頃にプロを志すことへの不安はありませんでしたか
―両親は心配したと思いますが、(プロに)なれないと思ったことはなかったです。8割から9割の人がプロになれずに辞めていく奨励会で、なかなか勝てずに苦労した時期もありましたが。両親が小学生の頃から自分の好きなようにやらせてくれたというのが大きかったです。
その頃の自分に何か伝えられるとしたら何と言いますか
―奨励会は6級から始まって四段でプロになれます、この頃(広報やちよインタビュー当時)は14歳で初段昇段と良いペース。だけどここから2年ぐらい二段に上がることができず、なかなか勝てないなと思っていた時期があります。19歳でプロになりましたが、10年後の今もまだ、自分の目標にたどり着けてません。なので「なかなか思い通りにはいかないよ」と…笑
┃最後に
新年度への意気込みをお願いします
―振り返ってみて今年度は非常に良い年だったと思いますが、それが長続きする保証はありません。新年度は切り替えて、自分の目標に向かって頑張りたいです。具体的にはタイトルに挑戦したいです。
最後に八千代市民にメッセージを
―先輩棋士にも聞いた話ですが、八千代市は将棋が盛んな街なんですよね。だから幅広い人に将棋を親しんでもらいたいと考えています、その力添えもしたいと思っているので応援していただければと思います。
物腰柔らかく落ち着いた印象の近藤誠也八段でした。次に対局も控えているにも関わらず、一つひとつの質問に丁寧に答えてくれました。今後の活躍を応援しています。