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荻野吟子―コラム私たちの心を動かした5人の女性(1)

ページID:0001241 更新日:2021年5月11日更新 印刷ページ表示

聴診器 荻野吟子(おぎのぎんこ)は、女に学問はいらない、といわれた明治時代に、我が国の女性医師第一号となった人です。

 1851(嘉永4)年、現在の埼玉県熊谷市の裕福な家の3女として生まれました。18歳で親の決めた人と結婚しましたが、その夫に性病をうつされ、離縁されました。病院で男性医師の診察を受けたときの苦しみから、同じ病気に苦しむ女性を救いたいと医師になろうと決意します。

 幾多の困難を乗り超えて1885年、35歳で女医第一号となりました。湯島で開業し、明治女学校の教師兼校医となります。1890年、40歳のときに13歳年下の志方之善と結婚しました。1894年、夫に従って北海道に渡りますが、1905年、夫が亡くなり、東京に戻って本所で診療を続けました。女医として多くの女性たちを救い、1913(大正2)年、63歳で亡くなりました。

私の心を動かすところ

 女性の医師は、ずいぶん増えたように思います。それでも、医師は男性で看護師は女性、とまず思い浮かべるのではないでしょうか。また、医科大学の入学試験で女子学生と浪人生に差別があったことが判明しました。現在でも、まだ女性への差別はあるのです。

 吟子が医師を志した明治時代は、まず女性を受け入れる医学校がありませんでした。それでもあきらめず、何とか入学します。男子学生に好奇の目で見られ、いじわるもされ、それでも通い続けて卒業します。

 しかし、今度は女性ということで医師の国家試験を受けさせてもらうことができません。吟子は諦めずに何度も願書を出し、不屈の精神で試験を受けることを認めてもらい、合格し、やっと医師になりました。

 何という精神力でしょう。道のないところに道を切り拓くことは、こんなにも困難なことなのかと思いました。自分が女性であるために感じたり、受けたりした差別は、なんと小さなものだったかと思います。しかし、今も女性であるために差別を受け苦しんでいる人がいます。それを少しでも改善して次の世代の女性に手渡していきたいと思います。

 吟子の生き方には、自分の背中を押してもらえるような力強さを感じます。

(M.W)

 注記:らいてうの会は女性がどのように生きたかを重点に学んでいます。文献によって生年などの記述が異なる場合がありますが、学習のまとめとして作成している記録誌を基本としています。

 

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