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伊藤野枝―コラム私たちの心を動かした5人の女性(2)

ページID:0001259 更新日:2021年11月2日更新 印刷ページ表示

万年筆

 伊藤野枝(いとうのえ)は、1895(明治28)年、福岡県に生まれました。上京後、上野高等女学校に進学し、そこで英語教師として赴任してきた翻訳家の辻潤と出会い、のち、結婚して出産。平塚らいてうと出会い、青鞜社に入社後は精力的に執筆や編集に携わりますが、無政府主義者の大杉栄と同棲し、関東大震災後、憲兵隊により28歳で撲殺されました。

私の心を動かすところ

 野枝は女学校を卒業すると親の決めた結婚を蹴り、辻潤の家へ転がり込みます。当時、女性は今と違って親の指示した人生を歩むことが多かったのではないのでしょうか。辻は野枝との同棲問題で辞職することになります。彼との間に二児をもうけ、その間にらいてうに会い青鞜社に入社します。『青鞜』誌上に「新しき女の道」「婦人解放の悲劇」など多くの原稿を執筆する活動を続けながら子ども達を育てました。「新しき女の道」からは、女性たちを新しい生き方へといざなう野枝のほとばしるような声が聞こえてきます。家父長制のもと、男尊女卑の価値観に悩む女性が多かった時代、『青鞜』の読者にはこの叫び声がどのように届いたのでしょうか。また、古い価値観を守りたい人たちからはどんな批判や非難の矢が飛んできたことでしょう。

 野枝は1915年1月から約一年間『青鞜』の編集兼発行人の役をつとめるという神わざのような日々を過ごします。その中で潤を通じて知り合ったアナキストの大杉栄と意気投合し辻家をとび出してしまいます。『青鞜』も自ら廃刊にして、大杉と一緒になる、これらを同時進行させてしまう野枝のパワーは百年後の私から見ても驚くばかりです。当時大杉には妻や恋人がいたので野枝も加わることでスキャンダルになります。同棲を始めた二人の間に四女一男が生まれます。二人の同棲生活は夫婦というより同志として生きるという目的に向かったのですが、妻の役割を自ら担っていることに自問せざるを得ない悩みも野枝は吐露します。

 理想の同志としての二人の生活は7年目に突然断ち切られました。1923年9月、関東大震災がおこり、混乱の中、二人は危険人物として憲兵隊に殺害されてしまいます。もしも、大震災がなかったらと考えてみますが、この2年後に治安維持法が公布されるので彼ら二人は自由な活動を続けられていたのか、はなはだ疑問です。そして時代は昭和に入り、世界恐慌から戦争の時代になっていくのです。

 野枝の生き方は破天荒でしたが、自分の思うまま生きてみたいと願った女性たちに思いをめぐらせるきっかけになったように思います。

参照:『らいてう(一)』らいてうの会編集・発行、『美は乱調にあり』瀬戸内晴美著角川書店発行

(O.M)

 

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