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久布白落実―コラム私たちの心を動かした5人の女性(3)

ページID:0001276 更新日:2022年10月26日更新 印刷ページ表示

聖書

 久布白落実(くぶしろおちみ)は、1882(明治15)年、熊本県で父・大久保真次郎と母・音羽の長女として生まれました。妹と弟は幼少時に亡くなりました。

 京都府の同志社で学んで牧師になった父の転勤により埼玉県や群馬県を移動しました。落実は、群馬県の前橋共愛女学校予科で英語を重点的に学び、東京府の女子学院を卒業後、両親とハワイ・ホノルルからアメリカ・オークランドに移って、バークレー太平洋神学校に入学しました。在校中も卒業後も父の布教を手伝い、結婚後は帰国して夫・直勝と共に布教に努めました。

 日本キリスト教婦人矯風会(矯風会)(※1)で活動、女性の地位の向上を目指して廃娼運動(※2)と、婦人参政権獲得運動で活躍しました。母方の大叔母に矢島楫子(かじこ)、叔父には小説家の徳富蘇峰(とくとみそほう)・蘆花(ろか)兄弟がいます。

私の心を動かすところ

 1906年に起こったサンフランシスコ大震災の後、オークランドに住んでいた落実はブラウン牧師に通訳を頼まれ、日本人街の調査に立ち会って衝撃を受けます。自分と同じ年頃の大勢の日本人女性が売春宿で働いていたからです。このことが、廃娼運動に一生をかけるきっかけになりました。同じ年に、矯風会会頭として日本からやって来た楫子に同行し、通訳としてアメリカ・ボストンでの第7回矯風会世界大会に出席しました。

 牧師の直勝と結婚してシアトルに住み、長男と次男が生まれました。1913年に直勝は大阪教会に招かれ、一家は帰国しました。三男が生まれ、直勝が肺を病んで一家は空気の良い高松に移りました。1914年にアメリカで父が、翌年、次男が亡くなりました。

 落実は矯風会の機関誌『婦人新報』に廃娼論を書き送ります。1916年、守屋東(もりや あずま)の招きで一家は上京し、落実は矯風会の有給の総幹事に就任しました。廃娼運動のため、まず矯風会で五銭袋運動を始めます。袋に五銭を入れて寄付をするもので、日本全国からたくさんの寄付が集まりました。

 大阪府知事が飛田に遊郭新設を進めたため大々的に反対運動をしますが実らず、落実は敗北集会で、法治国家において参政権を持たないのは、武器も無く戦闘に臨んでいるようなもの。勝利するのは難しく、今後は参政権を獲得することを我らの目標の一つに加えましょうと言い、婦人参政権の必要性を強く訴えました。

 1920年に直勝が亡くなり、長女が生まれました。同じ頃、夫婦の念願だった東京市民教会会堂が千駄ヶ谷に新築されました。

 1922年、アメリカ・フィラデルフィアでの第11回矯風会世界大会に出席、廃娼運動についてのスピーチをし、その後婦人参政権の研究のためヨーロッパを回りました。

 1923年に長女が亡くなりました。9月1日の関東大震災後、復興に尽力した仲間たちにより「東京婦人連合会」が結成され、1924年には「婦人参政権獲得期成同盟会(のちの婦選獲得同盟)」を発足させました。落実は総務理事に就任し、活動に打ち込みました。また1926年には矯風会と廓清会(かいせいかい)(※3)合同の廃娼連盟を設立し、財務委員長として募金活動に励みました。

 矯風会内の「日本婦人参政権協会」から復帰するようにうながされ、1930年、「婦選獲得同盟」の総務理事を辞任しました。1935年には北米・南米へ廃娼後の対策の研究旅行をしました。帰国後、ジャパン・ウイメン社を作り、日本婦人の実態を海外に紹介する英文パンフレット『ジャパン・スルー・ウイメン』を発行しました。

 1946年、戦後初の衆議院議員選挙に保守の自由党から立候補して落選、その後2回挑戦しましたが、いずれも落選しました。「売春禁止法制定促進委員会」を結成し、委員長として活躍しました。また、戦後の混血児問題に取り組み、「純潔問題中央委員会」を発足させ副委員長になりました。1961年の矯風会の全国大会で会頭に推薦されました。

 83歳で牧師の資格試験に合格しました。毎朝、聖書を日本語、ギリシャ語、英語、ドイツ語、中国語の5か国語で読み、ノートに書き写して祈ったそうです。

 1972年に89歳で永眠するまで、廃娼と女性の地位向上のために仲間とともに活動し続けました。写真を見ると小柄で驚かされますが、強い信念で行動し続けた精神力、行動力に頭が下がる思いで、その活動を若い世代の皆さんに知ってほしいと思いました。また、いくつになっても向上心を持ち勉学に励むことも見習いたいと思います。

※1 矯風会・・・南北戦争後のアメリカで行われた禁酒運動から生まれ、1883年に世界組織となった。日本では、1886年に来日したメリー・C・レビットの影響を受けて東京婦人矯風会が創立され、1893年には全国組織の日本キリスト教婦人矯風会ができた。初代会頭は矢島楫子。禁酒運動だけでなく、廃娼運動や女子教育、婦人参政権獲得運動、国際軍縮会議参加などにも活動を拡げている。

※2 廃娼運動・・・公娼(公に営業を許された娼婦)の廃止や婦人児童売買禁止の法規制などを目標に、政府への陳情や市民からの署名集めなどを行った運動。

※3 廓清会・・・公娼、遊郭反対派の団体。会長は衆議院議員の島田三郎。

参照:『らいてう(六)』らいてうの会編集・発行、『廃娼ひとすじ』久布白落実著・中央公論社発行、『婦人参政権運動小史』市川房枝監修・児玉勝子著ドメス出版発行、『草の根の婦人参政権運動史』伊藤康子著・吉川弘文館発行、『近代の山鹿を築いたひとたち010』山鹿市教育委員会教育部文化課発行

(I.K)

 

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