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山本安英―コラム私たちの心を動かした5人の女性(4)

ページID:0048567 更新日:2024年4月23日更新 印刷ページ表示

山本安英挿絵 山本安英(やまもとやすえ)は、1902年(明治35年)に東京の神田で生まれました。本名は千代。横浜に移り住み芝居好きな祖父と母によって育てられました。その後、叔母の家である山本家に弟と共に養子に入り、高等女学校に進学します。山本家では踊りと長唄も習わせてもらいました。10代の時に芝居で身を立てることを決意し、戦前から戦後までを通じて俳優として活躍しました。

私の心を動かすところ

 私にとって安英と言えば、なんと言っても「夕鶴」で演じていた「つう」の姿です。写真も残っていますので、すぐに目に浮かぶ彼女の姿はまるで鶴の化身のようで目を奪われました。

 安英は、幼少時から母や弟たち、養父母たちと共に苦しさや哀しさを味わい、大震災や家族の病死、戦争を体験するという人生を歩みながらも、あきらめることなく俳優業を貫いて生きる強い意志の持ち主でした。ほっそりした身体の彼女の芯にその強さが貫かれていることを知り、驚かされました。

 安英の言葉に、俳優とは、天性恵まれているものと、生涯休むことのない不断の努力とが合わさって生まれる、というような内容がありますが、その通りの人生だったのだろうと思います。また、俳優業は人前で華やかな仕事をして、拍手をもらいファンに囲まれてお金をもうけるという欲ばったことだけでなく、役の創造に限りない喜びを持つことができる芸術家としての喜びをめざす専門的職業人、という言葉を読むと、俳優業を極めるためにたゆまぬ努力を惜しまない一方、結婚や子育てといった日常的な暮らしを選ばなかったプロ意識が彼女を支えていたのだろうと思わせられます。

 著書にある、芸術的な喜びも日常的な幸福感も、自然にあわせもつことができるような日本に早くなってほしい、そういう日本をみんなでつくりだしたいという文章に、安英の生き方が凝縮されているように思いました。

 

参照:『らいてう(十六)』らいてうの会編集・発行、『山本安英おりおりのこと』山本安英著 日本図書センター発行、『女優という仕事』山本安英著 岩波書店発行

(O.M)

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