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いわさきちひろ―コラム私たちの心を動かした5人の女性(4)

ページID:0048571 更新日:2024年4月23日更新 印刷ページ表示

いわさきちひろ挿絵 いわさきちひろ(本名・岩崎知弘)は、1918(大正7)年、福井県武生市で父・正勝、母・文江の間に三人姉妹の長女として生まれました。父は陸軍関係の建築設計士でしたが、芸術好きな人でした。母は、女学校の博物家事(現在の家庭科)と理科の教師でした。ちひろは絵が大好きな子どもで、仲の良い両親に大切に育てられました。両親の反対を受け、一度はあきらめた絵の道でしたが、子どもの幸せと平和を願い、一生絵を描き続けました。

私の心を動かすところ

 芸術に生きることは、自由に生き方を選べるはずの現代でも難しいことです。ましてや、ちひろの時代には女性が絵で生きていくことはとても困難なことだったと思います。進歩的で子どもを大切に育ててくれたちひろの両親ですが、娘たちには恵まれた結婚をして人並みの生活を送ってほしい、長女であるちひろには岩崎家を継いでくれる婿養子を迎えてほしいと思っていました。両親の意図をくみ、いつも妹たちのお手本になっていたちひろですが、両親と激しい口論をしてでも叶えたかった美術学校進学の夢がありました。でも、その夢は果たされることなく、ちひろは20歳の時に婿養子を迎え結婚しました。しかし、ちひろはどうしても夫を好きになれず、この結婚は夫の自殺で一年弱で終わりました。

 しばらく両親のもとで心身を休ませ、ちひろは再び絵を勉強することにしました。この時師事した中谷泰は、ちひろのデッサン力を高く評価していますが、それはいつでもどこでもデッサンをするという絶えざる努力によるところが非常に大きいと言っています。ちひろの絵は、可愛い子どもたち、優しいタッチ、色が魅力ですが、確かなデッサン力に裏付けられた絵の力があってこそなのだと思いました。

 若き日の不幸な結婚で、もう結婚はしない、私は絵と結婚した、と言っていたちひろですが、1950年に松本善明と結婚します。ちひろの部屋で、たくさんの花を飾り、二人だけの式を挙げました。二人は、その時五つの誓いをたてました。お互いの立場を尊重し、特に芸術家としての妻の立場を尊重することなどで、土曜日に五つの誓いについて確認することにしていました。

 女性が結婚して仕事を続けることは、現代でも大変です。一度はあきらめた絵の道を、再び志し最後まで貫き通した強さ。夫や自分の子どもへの愛にとどまらず、すべての子どもが幸せで世界が平和であるようにという願いを絵に込め、描き続けました。そのゆるぎない強さに心を揺さぶられます。ちひろの絵の母親や子どもの深い目に、その強さ、平和への一貫した思いが感じられ、心を動かされます。

 

参照:『らいてう(十五)』らいてうの会編集・発行、『ちひろ愛の絵筆 いわさきちひろの生涯』滝いく子著 労働旬報社発行

(M.W)

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