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八千代市指定文化財(16~20)
16 神馬の絵馬(じんめのえま)
この絵馬は、萱田の飯綱神社にあります。
江戸時代後期に描かれ、色彩豊かで絵馬本来の習俗を知る貴重なものです。
大きさは縦110cm、横166cmで、天保6年(1835)の銘もみられます。
絵馬には銀面をつけて背に雲珠を乗せた唐鞍馬具の神馬が、二人の狩衣姿の馭者(ぎょしゃ)に神前に引かれていく様子を描いています。奈良の春日大社にある絵馬をもとにしているようです。
古代から生き馬を神社に献上し祈願していたことは「続日本紀」にみられますが、その後には生き馬の代わりに馬の絵を板に描きそれを奉納して祈願するようになりました。それが絵馬の始まりでした。その後江戸時代になると祈願する内容を描いて奉納することが盛んになります。
17 飯綱神社の玉垣彫物
飯綱神社の本殿を囲う玉垣にはめ込まれた彫物です。
彫物の画題は中国の元の時代に作られた「二十四孝」からとり、当時の儒教的な社会を色濃く反映した優れた彫物です。
玉垣にはめ込まれた彫物は25枚ありますが、2か所の扉とその上の欄間には波や花を彫り込んだものがあり、「二十四孝」の話ではないものも含まれています。
一枚の大きさは縦39cm、横176cmあり、北西隅の2枚と扉の4枚だけは小さいものです。作成年代は不明です。作者は「下総州香取郡 彫物工 竹内山幸」と彫物裏側に刻まれています。竹之内村(現在の香取市)の山中幸右衛門という人が作者であることがわかります。彼は18世紀末に活躍した彫物師ですので、この時期に作成されたものと思われます。
「二十四孝」は24人の孝行息子の話を集めたものですが、「貧しくて蚊帳がなく、親の蚊を防ぐために、自らが裸となって蚊に吸わせたという話。」や孟宗竹のいわれとなった話「病母のため、冬に筍を取るために山の中に入って、神の加護により掘りあて母の病を治す。」と言う話など当時の儒教的な社会を反映した極端なものです。
18 飯綱神社鐘楼
鐘楼は寺院にあって、門の開閉などの時を告げる銅鐘を吊るす建物ですが、神社のなかにあることは不思議なことです。
明治時代以前は神仏混淆(しんぶつこんこう)でそう珍しいことではなく、時代の特徴をよく表しています。上層には梵鐘をかけています。
下層は袴のように裾が開いた形になっているため袴腰(はかまごし)といいます。桁行三間、梁間二間で上部の周囲には擬宝珠付高欄(ぎぼしつきこうらん)の回縁がついています。組物は三手先(みてさき)で組まれ、屋根は入り母屋造りです。元はカヤ葺きでしたが、現在は銅板を被せています。
19 飯綱神社本殿・拝殿・玉垣・参道石段
本殿・拝殿はその配置から一見「権現造り」を思わせますが、別々に建てられています。
本殿はその棟札から延享5年(1748)と知ることができますが,現存するものは再建されたもので再建棟札より安政3年(1856)と考えられます。本殿はその建築手法から幕末前後におけるこの地域に拡がる特色のある建築物として重要なものです。
本殿の構造は桁行三間、梁間二間の三間社流造(さんけんやしろながれづくり)といわれるもので、向拝(ごはい)部分に唐破風(からはふ)が付いています。柱は円形ですが、床下では八角形をしています。また、向拝の床下では四角形です。柱の上には二段に腕木が出ている二手先(ふたてさき)といわれる組物を置き、また柱と柱との間には蟇股(かえるまた)という飾りが付いています。隅の柱を見ると3方向に竜を付けた尾垂木(おだるき)を置き、その下に斜め方向に一つの唐獅子を据えています。本来であれば直角に二方向にするものですが、それを省略しています。
この手法は、近隣の千葉市花島町天福寺観音堂や同市宇那谷大聖寺楼門に似たものが見られ、幕末期の特色になっています。
拝殿は明治22年(1889)に建てられています。これらも本殿と同様の手法をもちいて、各隅の獅子は斜め方向に一つ懸けられて同時期の様に建てられています。
玉垣は切妻風、銅板葺、柱は四角で屋根を支える組物は二手先で、柱と柱の間には蟇股が据えつけられています。その下には二十四孝の彫物(市指定文化財17)を組み入れ、さらに連子を建てています。北東隅を飛び出させており、京都御所に見られるように、鬼門よけではないかと思われます。
彫物の作者の活躍する年代から考えて18世紀末頃建てられているのかもしれません。
参道石段は天保3年(1832)に再建されたものです。
鷺沼の直七と船橋の勘治郎という石工によって造られました。
高さ14メートル、総延長22.9メートル,幅2.65メートルの急勾配で安山岩製角材を58段積んでいます。創建時は現在より東に約20メートルの急な崖にありましたが,昭和初期の台風により崩れ移設しました。その時2段積み足して傾斜を緩やかにしています。
20 イヌザクラ
北海道以南の山野に自生する、バラ科の落葉高木で、村上の浅間神社(村上2819-1)にあります。
サクラ属の1種ですが、よく目にする「ソメイヨシノ」や「ヤマザクラ」の花とは異なり、白い地味な小さな花がたくさん房のようにつきます。多くは樹高8mほどですが、このイヌザクラは幹周り2.95m、樹高14m、この種にしては市内一の巨木です。
推定樹齢200年。花は4月下旬から5月にかけて咲き、実は夏の終わりの8月ごろ結びます。赤く小さな果実は野鳥などの食物になります。浅間神社の森という、小さな生態系の基本を受け持つ生物で、動植物を含めた地域の景観を維持する上で重要な役割を果たしています。
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