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八千代市指定文化財(1~5)
1 佐山の獅子舞
獅子舞は、村人の共通の願いである悪疫退散・五穀豊穣などを獅子に託して舞う、民衆の芸能のひとつです。
腰に締め太鼓をつけ手で打ちながら、頭に獅子頭を被った3匹の獅子が笛・太鼓・謡などに合わせて舞います。
毎年9月23日・24日に佐山の熱田神社と妙福寺で行われます。この日は彼岸の中日に当たるためこの獅子舞を「ヒガンジシ」とも言います。23日は神社で午前10時ごろから2時ごろまで舞い、その後隊列を組んで笛を吹きながら移動します。以前は途中で個人の庭で舞っていましたが最近は省略されています。寺に移動し休憩後同様に舞われ5時頃終了します。
起源などははっきりしませんが,古い様相を残しています。舞は親獅子・中獅子・女獅子の3匹が腰の太鼓を手でたたきながら争ったり、仲直りしたような仕種を繰り返しながら絡んで舞います。
2 村上の神楽
神様(ウブスナ様)を祭るために、笛・太鼓の音楽にあわせて演劇性のある舞楽を奉納する、芸能のひとつです。
1月15日と10月9日の年2回、村上の七百餘所神社の神楽殿で行われています。両日共に2時ぐらいから演じられ夕方までかかります。
十二座神楽と呼ばれていますが、今伝承されているのは9座だけです。神楽殿や奉仕者を祓い清める「修抜」、火吹男が神様を迎えるため掃除し、猿田彦が神様の道案内をして邪神を退散させる「座清め」、姫が宝物の玉を持って山神と舞い、そこに鬼が出てきて玉を取り、山神がそれを奪い返すという「玉取り様の舞」その他「翁の舞」、「種おろし」、「うずめの舞」、「湯巫女の舞」、「恵美須の舞」、「みかぼし」からなっています。
1月の祈年祭の時は、神楽が終わると神主が煮えたぎる湯を笹でかぶり、吉凶を占う「湯立て神事」が行われます。
3 勝田の獅子舞
獅子舞は、かつては桑橋や村上など多くの地区で行われていましたが、市内に現在も伝承されているのは佐山とこの勝田のみです。
毎年二百十日に近い9月第1日曜日に勝田の円福寺と駒形神社で行われます。
獅子はオヤジ、セナ、カカの三匹獅子で、革を張り鋲でとめた太鼓を腰に付け、短いバチでたたきながら、笛・太鼓にあわせて舞います。
10時頃、寺で初心者が半分だけ舞った後,隊列を組んで法螺貝や神主・太鼓などとともに笛を吹きながら移動します。神社でも同様に半分舞って休憩します。午後3時頃から初心者(モトギリ)・修練者(ハタガケ)・先輩格(タネ)の人がそれぞれ舞います。時には先輩格を卒業した人達が余興で舞う(オオタネ)こともあります。その後神主の口上や「手踊り」・「ミノコ踊り」などが舞われ、来たときと同様に隊列を組んで寺に戻ります。寺で初心者の人が舞った後、「手踊り」・「ミノコ踊り」を舞って終了します。
五穀豊穣などを託して行われますが、特にこの獅子舞の途中に入る口上に二百十日の水害よけがあることから、水神信仰との関連も伺わせます。
伝承では「犢橋の寺が焼けたその夜三匹の竜が勝田の寺に飛んできて舞が始まった。」とも言われています。
4 正覚院釈迦堂
村上の正覚院にある県指定の木造釈迦如来立像が安置されているお堂です。
地方における正統的な寺院建築で、県内にも比較的少ない和様の建造物です。
間口、奥行き共に3間あるので三間堂と呼ばれています。1間は長さの単位ではなく、柱と柱の間隔を間と呼び、長さは長短いろいろあって一定の距離とは限りません。
正面には1間の向拝(ごはい)が付き、回縁(まわりえん)には高欄が付いています。内部は前後二つに仕切られ、奥を内陣といい板張りになっています。そして、本尊である県指定文化財の木造釈迦如来立像を安置しています。手前は外陣で、現在は板張りですが、かつては畳が敷いてあり、本尊を拝む場所になっています。
屋根は寄棟造りで銅板葺きですが、もともとはカヤ葺きであったようです。本尊が安置されている厨子には、延宝2年(1674年)の銘があり、また建物の諸形式などを考慮すると江戸時代前期の創建ではないかと思われます。
5 宝篋印塔(ほうきょういんとう)
正覚院釈迦堂裏山の墓地にあり、応永18年(1411年)に建立されたもので、市内で確認されているものの中では最古のものです。
指定当時は相輪と塔身が欠損していましたが、現存部分での高さが75センチでした。平成8年墓地整備のため位置を変更し、同時に欠損部分の復元をしています。石材は小松石で造られています。
宝篋印塔とは「宝篋印陀羅尼経」を納めた供養塔で、鎌倉時代中期以降造立され、全国に広まりました。この塔は基礎部分の刻銘によると妙吽(みょううん)という女性の供養のために建てられたことが判ります。
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